国分太一の基本プロフィール【生年月日・出身地・血液型など】

国分太一のプロフィールまとめ
国分太一さんは、1974年9月2日生まれ。
出身は東京都東久留米市。血液型はO型です。
身長は公称167cm。以前は「170cmくらい」と言っていたそうですが、のちに本人が「ちょっと盛ってました」と暴露。
その正直さとノリの良さ、いい意味で“イジられキャラ”なところが国分太一さんらしいですね。
TOKIOではキーボードを担当。ジャニーズの中でも、バンドスタイルのグループというのがちょっと特別です。
しかも、演奏だけでなく、司会やナレーションでも存在感を発揮。朝の情報番組やバラエティで見かけることも多かったですよね。
優しそうで、ちょっと真面目で、でもユーモアも忘れない。
「派手さはないけど、ずっとそばにいてくれる」そんな安心感のある人柄が、国分太一さんの最大の魅力かもしれません。

国分太一の学歴まとめ【小学校〜高校と学歴詐称の噂】
出身小学校・中学校のエピソード
国分太一さんの出身小学校は、東久留米市立第四小学校。
残念ながらこの小学校はすでに廃校になっているそうですが、当時は団地っ子が多いにぎやかな学校だったようです。
小学生のころは、野球やそろばん、そしてサッカー。
とにかく好奇心旺盛で元気な少年だった国分太一さん。3年生からはサッカーに本格的にのめり込み、MFとして活躍していたそうです。
そのまま地元の東久留米市立東中学校に進学。
ここで、芸能界との出会いが訪れます。実は、ジャニーズ事務所に履歴書を送ったのは、国分太一さんの姉。
「光GENJIに会いたい!」という、なんともピュアな理由だったそうです。
この“姉の一通”が、人生をガラリと変える第一歩になりました。
高校を中退した理由と父との確執
中学時代からすでにジャニーズJr.として活動していた国分太一さん。
雑誌の表紙を飾ったり、テレビ出演も増え、芸能活動は順調そのもの。
そんななか、高校進学について「もう芸能界一本でいこうかな」と考えたこともあったそうです。
ですが、父親が猛反対。「高校くらいは卒業しろ」という思いがあったようです。
しぶしぶ進学したのが、私立の豊島実業高校。
とはいえ、入学式に出ただけでほぼ登校せず、ほどなく中退してしまいました。
この中退をきっかけに、父親とは金銭的な援助も打ち切られ、親元を離れる決断をした国分太一さん。
16歳という年齢で、自立の道を選ぶことになります。
「学歴詐称」と言われた理由は身長だった
実は「学歴詐称」というキーワードで検索されることも多い国分太一さん。
ただし、正確には学歴を“盛った”わけではありません。
高校中退であることは、本人も隠していませんし、インタビューでもたびたび言及しています。
どうやら話がこじれたのは「身長詐称」のほうだったようで…。
当時はプロフィールに170cmと書いていたものの、のちに「実は167cmくらい」と自白。
このエピソードがネット上で妙に広まって、「学歴も怪しい?」という風評につながったようです。
誠実な人柄だからこそ、誤解が独り歩きしてしまったのかもしれませんね。
次は、芸能活動の始まりからTOKIO加入まで、濃い~経歴を一緒に振り返っていきましょう!
続いて、こちらのパートをお届けします👇
ジャニーズ入所からTOKIO結成までの芸能界経歴
姉が履歴書を送ったのが芸能界入りのきっかけ
国分太一さんがジャニーズに入ったきっかけは、とにかくシンプル。
姉が「光GENJIに会いたいから」という理由で勝手に履歴書を送ったのが始まりです。
しかも、事務所からオーディションの連絡が来たとき、本人はサッカーの試合中。
それでも母に連れられて面接に行ったそうで、当時は「なんで俺が…」という気持ちだったとか。
その後、ダンスレッスンのない“スケートボーイズ”に所属。
これがのちの「平家派」→「TOKIO」へとつながっていく、伝説の一歩目だったわけです。
平家派〜スケートボーイズ〜TOKIOへ
スケートボーイズ時代は、テレビ番組『アイドル共和国』などでバックダンサーを担当。
アイドルらしからぬ地道な下積み時代が続きました。
やがて光GENJIや男闘呼組のバックで踊るようになり、“平家派”というグループにも所属。
ちなみに平家派には、V6の坂本昌行さん、長野博さん、井ノ原快彦さんらも在籍していました。
1990年、ついに「TOKIO」が結成。
国分太一さんはキーボード担当として、グループの音楽性を支える役割に。
“歌って踊る”ではなく“演奏する”ジャニーズグループという新しいスタイルが話題になりました。
ドラマ・音楽・MC…幅広い活躍の時代
音楽活動だけでなく、1990年代からドラマやバラエティにも多数出演。
俳優としても評価され、『天国に一番近い男』や『リング』など話題作に登場しました。
さらに注目されたのはMCとしての才能。
『ザ!鉄腕!DASH!!』『ぐるナイ』『Rの法則』『ビビット』など、あらゆるジャンルで存在感を発揮。
器用で押しつけがましくない話し方が、視聴者の心をつかんだんでしょうね。
「誰かを立てる」「ツッコまれて笑いを取る」この“縁の下ポジション”こそ、国分太一さんの真骨頂と言えるかもしれません。
次は、気になるプライベート。
奥さんや子ども、実家についても、じっくり見ていきましょう!
続けてこちらのパートです👇
国分太一の家族構成と結婚相手はどんな人?
奥さん(腰原藍さん)との結婚と馴れ初め
2015年、国分太一さんは建築家の腰原藍さんと結婚しました。
10年以上の交際期間を経てのゴールインで、「じっくり時間をかけて愛を育んだ」という表現がぴったり。
馴れ初めは、共通の知人を通じての紹介。
当時から腰原藍さんは一般人という扱いでしたが、実は大学の建築学科を卒業した才女で、キャリアも持っているしっかり者。
結婚会見では「たくさんの幸せをもらってます」と語っていた国分太一さん。
なんだかんだでのろけ話も多く、仲睦まじさが伝わってきます。
2人の子供とのエピソードが微笑ましい
結婚から2年後、国分太一さんには第一子が誕生。
その後、二人目も授かり、現在は“2児のパパ”です。
子育てについてはあまり公には語られていませんが、テレビ番組でちらっと話す内容から察するに、とても家庭的。
「子どもを寝かしつけるのが得意」なんてコメントもしていて、優しいパパの顔が目に浮かびます。
芸能界という忙しい世界にいながらも、家族時間を大事にしているところも、国分太一さんらしいですよね。
国分太一の実家や両親との関係について
国分太一さんの実家は、東京都東久留米市にあります。
父親は厳格なタイプだったそうで、高校中退の時は「勘当寸前」だったとか。
それでも、ジャニーズでの活動を真剣に続ける姿を見て、少しずつ認めてくれるようになったとのこと。
大人になってからは関係も改善し、父との距離も縮まったと語っています。
母親や姉とも仲が良く、家族のエピソードにはあたたかさがにじんでいます。
芸能界で長くやってこられた背景には、こうした家族の支えがあったのかもしれません。
次は、気になる“現在の活動”と“芸能界無期限活動停止”の真相に迫ります!
最後のパートをお届けします👇
現在の活動と芸能界無期限活動停止の真相
株式会社TOKIOの副社長としての役割
2021年、国分太一さんは新会社「株式会社TOKIO」を立ち上げ、長瀬智也さんの脱退後も城島茂さん、松岡昌宏さんとともに活動を継続。
役職は“副社長”。音楽活動というよりは、「DASH村」や各種プロジェクトを通じて、より社会的なアプローチをとるようになりました。
ジャニーズ時代のような“アイドル業”ではなく、“地域に根ざした活動”というのが新たな方向性。
「人と人をつなげる仕事がしたい」という想いが強く、メディアより現場重視という姿勢が見えてきます。
バラエティ番組や司会業の現在地
国分太一さんの代名詞とも言えるバラエティや司会業。
『男子ごはん』や『TOKIOカケル』では、ほどよくゆるく、でもしっかり仕切れる“安定の太一さん”が健在でした。
また、朝の情報番組『ビビット』ではメインMCとして、真面目なニュースも的確にさばく姿が印象的でしたね。
“うるさすぎず、頼りすぎず”という絶妙なバランス感覚が、視聴者に心地よさを与えていたのかもしれません。
ただ、近年はメディア露出が減っており、「ちょっと寂しいな」と感じるファンも少なくないようです。
芸能界活動停止のきっかけと今後の展望
実は、国分太一さんが2023年ごろから“芸能界無期限活動停止”というワードで検索されるようになったのは、出演番組が立て続けに終了したことが背景にあります。
本人からの公式発表はないものの、テレビのレギュラーがゼロになったことで、「実質的な活動停止では?」という声が広がった形です。
ですが、株式会社TOKIOの副社長としての活動は続いており、完全に“芸能界引退”というわけではありません。
今は、表舞台から少し距離をとって、地に足のついた活動を選んでいる印象です。
むしろ、これから“再登場”したときのインパクトに期待したいところですね。
あの柔らかい語り口と、人を笑顔にする力。まだまだ見たい!という声は根強いままです。